遠藤 千恵さん
寄り道の天才
出会って5分後、彼女と私は森で山椒を探していた。
今回の舞台【sumori-an】に向かう途中、彼女はふいに車を停め「あそこに花山椒がある。リゾットにかけると美味しいの」と言って目を輝かせると、車を降りて森の中へ入っていった。少し旬を過ぎた花山椒を、彼女は愛おしそうに摘んで帽子の中へ入れる。広がる山椒の香りの中で「これは鰻が食べたくなるね」と、嬉しそうに小さくつぶやいている。
「大きな木があるということは、近くに小さな木があるかも」と言われるままに足下に目を落とすと、山椒の木をいくつも見つけた。数分前までただの茂みだったのに、突然山椒の木だけが浮かび上がって見えるから不思議だ。「目が森に慣れてきたね」彼女が言った。
横浜市を拠点に、各地でケータリングやレシピ制作などを手掛ける料理家・遠藤千恵。彼女のつくる料理に和洋中などのジャンルは無い。その時、その地で採れた素材の生命力を活かす即興性と滋味深さが彼女の料理の魅力。印象的なのが、その素材が生まれ育つ気候や風土に、彼女がとても愛情を抱いていること。特に長野県佐久市の農家とのつながりは深く、頻繁に訪れているという。
「軽井沢もすごく馴染みのある場所です」。ナビに頼ることなく町を車で走りながら彼女は言う。都会で生まれ育った彼女には、いわゆる「故郷」が無く、幼少期の夏休みや冬休みは家族で軽井沢の別荘へ遊びに来ていたのだ。
包み込む家
直線的でミニマルな設えが印象的なモリノイエの中で、【sumori-an】は少し異彩を放つ存在だ。柔らかなむくり屋根と白い無機質な佇まいは「森の茶室」を思わせる。中に入るとまず目に飛び込むのが、幅5.4mにも及ぶ圧巻の窓。10人は座れるベンチに座り、窓を開け放つ。清らかな森の空気が一気に流れ込み、一瞬で森と一つになった。
彼女は窓辺に腰掛け遠くの浅間山を眺めながら「ここは、写真で見ているともっとシャープでクールな印象でした。でも実際は空間が“丸い”っていうのかな?有機物のような、生き物のような、あたたかい感じがします」と呟いた。
繊細な格子の引き戸や、反射を抑えた壁・床・天井。暖炉を囲む左官の壁は、まるで子を宿した生き物のように柔らかな膨らみを帯びている。低めの天井も相まって、空間に包まれ、守られているような安心感がある。
もし【sumori-an】が人だとしたら、きっと「女性」なのだろう。
「料理」と「レシピ」
「染め物に使えそう」な赤い花や、「カクテルに入れたら美味しい」葉など、寄り道で見つけたものを入れた彼女の帽子は、【sumori-an】に着く頃にはいっぱいになっていた。
彼女と並んでキッチンに立ち、はじめて見るネマガリダケなる物の処理に首をかしげていると「齧ってみて“固い”と思った所を折ったらいいよ」と言われハッとした。いつの間にか「料理=レシピをなぞる」になっていた自分に気付く。彼女と立つキッチンは発見と多幸感に溢れ、料理の難しさや煩わしさが、肩透かしをくらったように軽くなっていった。
身土不二
彼女の会話の中に、よく登場する人物がいる。佐久市で生まれ育った料理人・北沢正和、通称「北さん」だ。前職で国際線客室乗務員をしていた彼女が、空から降り大地で料理の道へ進みはじめる中で、大きな影響を受けた人物。「北さんはいつも“足下をよく見てみろ。お宝がいっぱいあるぞ”って。出会って10年以上になるけど、大事なことは何度も言うの。“宝を見つけて料理するのが真の料理人だろ“って」。彼女が北さんを語る言葉には、敬意と愛が溢れている。
北沢さんの営む蕎麦料理店【職人館】の厨房で、皿洗いを手伝っていたある日のこと。目の前にある大きな窓の外を眺め、彼女は考えていた。
「さっきあの山できのこを、手前の沢で山葵を採ったな。向こうの田んぼの穂が黄金色だからそろそろ稲刈りの時期。そこの畑に咲くコスモスを摘んでサラダにかけよう」。
その瞬間、北さんの言葉がはじめて腑に落ちた。「そうか、この窓から見える景色だけで、いくらだって料理が作れる」。彼女は心の深い所でそう受け止めた。知識として理解するのと、経験して腑に落ちるのは全く違う。腑に落ちてはじめて、血となり肉となり、彼女のものとなり、そして料理となってまた誰かへ受け継がれていくのだ。
森とつながる生き方
森で過ごす2日間、彼女は時間を見つけては森へ足を伸ばす。「みてみて、すごい」としゃがみこんだ視線の先には、芽が土へ伸びはじめたドングリ。大きな朴葉の木や山椒の木、山菜を見て「ここは和食エリアですね」と少しおどけたように言う。森の中にいる彼女はとても生き生きしていて自然体で、足下から根が伸びてそのまま大地とつながっているのではないかと思えてくる。動物のようで、植物のよう。ハンターのようで、妖精のような人なのだ。
横浜の彼女の自宅兼アトリエは住宅街だが、車で5分くらいの所に小さな森があるという。「無になりたいと思った時は、森へ行きます。海にも潜るけど長くは居られなくて。森や山はずっと過ごせるんです」。都会にいてもどこにいても、彼女は「その場なりの精一杯の自然」を上手に見つけながら生きている。庭もあるけれど「つくられた庭だから。圧倒的なここの自然とは違う」と、自由奔放に伸びる木々を見上げて言った。
風と光のめぐる家
「やりたいことがあるんです」。そう言って彼女は森で拾った木の葉やドングリ、寄り道で見つけた花びらをテーブルの上に広げた。「草木で紙を染めて、おしながきをつくってみようと思って」と喜ぶ姿が少女のようだ。
森の宝物を大切そうに紙の上に並べながら「この家の光と風がとても好きです。明るい光という意味じゃなく、家の中を光がやわらかくまわっている感じ」と言った。彼女が家を探す時一番大切にしているのが「風が通って、陽が入ること」なのだと言う。
【sumori-an】は、全部の部屋をぐるりと回遊できる動線になっている。そうすることで山肌に建つがゆえのコンパクトな敷地にも関わらず、空間を広々と、ゆったりと感じる。人の導線だけでなく、風や光もまわるように仕立てられているのだ。
「心地よさ」の重なり
「仕事の現場では、効率よく目と手に届くようにものを置くけれど、完全にOFFになる家では目に入る情報が少ないのが好き。ここと同じくらい物を置かず、片付けるんです」。そう言われて空間を見回すと、梁や柱が見当たらないことに気づく。視界の凹凸を極限まで減らすことで、より広々と見せているのだ。一方で天井は少し低めに。開放感と「籠もっている」ような安心感を両立できるよう、考え抜かれた空間なのだ。そんな、気付くか気付かないかのさり気ない工夫の積み重ねが一つの空間となり、言葉にならない心地よさを生んでいる。
染めた紙をバスルームで乾かす。「朝、お茶を飲みながらゆっくりと1時間くらい湯船に浸かったんですが、5時半くらいから空がだんだん白んできました。湯船に入るとちょうど目の高さに窓がきて、向こうに浅間山が見えて。徐々に陽が差してきて、山頂あたりが金色に光りはじめたんです」。そして彼女は少しため息混じりに「とても美しかった」と目を細めながら言った。
コントラストは淡く
彼女が森と同じくらい好きなことの一つが「火を灯すこと」。家でキャンドルだけで過ごすこともあるという。【sumori-an】にある暖炉に火を灯し、薪の香りを感じぼんやりと眺めながら「食べるものがあって、火と水がある場所って、本能的に安心するのかも」と呟いた。
森にきて何か変わったことがあるか尋ねると、彼女は少し考えてから「ものすごく変わったことはないです」と言った。「大きな変化って無い方が良いと思っていて。気分転換する時も大きくガラッと変えるよりは、すーっとスライドして少し違う場所に行って、すーっと日常に戻るのが、私は心地いいんです」と微笑んだ。ONとOFFに強いコントラストをつくらない方が疲れないのだという。コントラストは気分だけではなく、移動や距離もふくめてのこと。新幹線で約1時間で来ることができる軽井沢はちょうどいいと言う。
昔、心理学を勉強している友人に「心が疲れている時は大きな気分転換をしない方がいい」と聞いたことがある。良い変化も悪い変化も、広く捉えると心にとっては同じ「刺激」で、振れ幅が大きいと疲れてしまうこともあるというのだ。彼女はそれを本能で掴み取っている。自分にとって何が心地いいか知ること、自分の機嫌をとることに長けているのだ。
秋を愛する人
「皿の上に我をのせるな」これも北さんの言葉。「“我”が悪いとは私は思わないけれど、たしかにそうゆう料理は食べても作っても少し疲れてしまう。いつかお皿の上で自分の存在を消せるようになれたら」と遠くを眺めながら言った。
では、お皿に何をのせていますか?
横顔を見つめながら問いかける。彼女は少し考え、外に目を向けたまま「その生命の今、それだけな気がします」と微笑んだ。
彼女はかつて、農業を少し手伝ったことがある。「料理は失敗したら作り直せるけど、農家さんの収穫は1年に約1回、6年やってやっと6年生なんです」と、朗らかな語気に微かに熱がこもる。野菜を作るだけでなく、種をつなぎ、生命をつなぎ、地の食文化をつなぎ、人の命につながるものを作る農家に彼女は心から敬意をはらい、素材がお皿にのるまでの物語を大切にしている。
一番好きな季節は?2日間の終わりに何気なく聞くと「秋かな」と彼女。「人間は“実り”が野菜の晴れ舞台のように言うけど、命を次につなぐために種を落とす“秋”こそ、野菜たちが最高に輝くと思うの」。
最後まで野菜視点なのが彼女らしく、やはり根で大地とつながっていると思ってしまうのだ。
Special thanks to CHIE ENDO
料理家。ties代表。東京出身。大学卒業後、国際線客室乗務員として10年間勤務したのち、料理の道を志す。料理学校アシスタント、レストランでの勤務を経て独立。2015年に拠点を都内から神奈川の中山(横浜市)へと移す。「都会」と「田舎」のよさを併せ持ち、自然豊かなこの土地で“身土不二(人と大地は繋がっている)”の考えを大切に、野菜がもつ本質的な美味しさと美しさを活かしたケータリングやメニュー制作を活動の中心とし、料理教室を開催するほか、地域共創のプロジェクトに携わる。日本の二十四節気に沿った台所の手仕事を共に行う「手しごとの会」を主宰。
Photo : Kousuke Shimazaki / text : Nozomi Inoue(sog.inc)